山笠突き当て(喧嘩神事)
山笠同士のいわゆるぶつかり合いは苅田山笠の魅力の一つである。大正期に担ぎ山笠から車輪の付いた山笠になった。始まりは定かではないが娯楽のない時代、祭りの神事が済み役割を終えた山同士をぶつけあって楽しむことで始まったと思われる。その後面白さが増し少しでも相手より強くするため、舁棒(かきぼう)と呼ばれる前後に伸びた棒を太く長くするような改造が行われた。遂には中棒または喧嘩棒と呼ばれるようなさらに長い棒を中央に取り付ける事にまで進化した。
毎年道路上で長時間の激しい戦いが繰り広げられた。戦後進駐軍の米兵もその面白さを喜んだと言われている。面白い反面山笠は崩れけが人も出る、周りの街路樹や電話ボックス等も被害を被るなどした結果、次第に行き過ぎを自粛する方向に進んだ。
一時期直方系の小山と呼ばれる人形を前後に付けぶつけ合いが事実上出来なくする山笠も登場した。それでもぶつけ合いは止まず1984年遂に山笠中止という最悪の事態に陥った。それを機に8年程全く行われない時期が続いたが1992年頃より復活した。
現在は各区若手の振興会組織が中心となって役場広場で申し合わせにより突き当てをする形式になっている。