岩山(いわやま)
祭り最終日、御神体を乗せた宇原神社の神輿のお供をする山笠である。前日清めの幟山が早朝岩山に変貌する。かつては旧暦15日の中秋の名月前日の明るい月の光の下で未明から作業を行った。紙張りの岩を重ね、前の舞台に人形を配し、先端に紙張りの金を中央に左右に銀の鉾にボテ花と呼ばれる竹に紙を巻き付け一体化した依り代を取り付ける。太鼓・鉦を中に置き廻りを幔幕で巻く。総高15m、総重量4トン以上にもなる山笠。15地区から14基の山笠が神輿のお供に南北から苅田町役場横石塚山古墳近くの浮殿と呼ばれるかつての宮所まで運行される。
人形岩などを飾る形式から筑前の山笠の影響と思われがちであるが昔は国も違い近隣にもあまり類似の形の山笠がないことなどから苅田独特のものであると思われる。まだ研究の途中であるが福岡県教育委員会の見解では県内の山車の中で古い形式を留めたものとされている。その根拠は紙張りの岩を積み上げたものが磐境(いわさか)で頂上にホテ花と呼ぶ依代が飾られている。(福岡県教育委員会編 福岡県の民俗芸能より)依り代とは神が引き寄せられて取りつくものであり神からみた名前である。神を招く方である人からは招代(おぎしろ)と呼ぶ。
苅田山笠の岩山は全体としては苅田の地形を模したものに神を降ろす依り代を立てたものであると思われる。以下は少し想像をお許し頂きたい。
依り代等の用語を作られた折口信夫氏の説によると一般に山車の形は土台の部分を「ヤマ」そこから上に伸びたものを「ホコ」上部の竹の編んだようなもの(髯籠ひげこ)を「ダシ」と呼ぶ。苅田山笠の岩山にはその説そのままに3つの部分が明瞭に区別されて見る事が出来る。そういう点で古い形を今に伝えるものと言える。さらに折口信夫氏の説によるとその中で最も大事なのは「ダシ」の部分で神を導くための目印とさらには日神つまり太陽の意味もあったという事である。ボテ花の「ぼて」とは張り籠を意味し「ぼて」と「梵天」の関係も匂わせている。
「ダシ」の部分はその後様々に変化し鯉のぼりや日章旗の棹頭に付ける玉に進化したという。
折口信夫氏の説がそのまま苅田の岩山に当てはまるかは今後の調査研究にかかっている。