苅田山笠とは

 福岡県の無形民俗文化財に指定されている「かんだ山笠」は宇原神社神幸祭の一コマであり、氏子十五区の行事である。この祭は旧暦8月1日から16日まで続く一連の神事であり、すなわち現在変更されている新暦で言えば、9月22日未明に「鉦卸し」、29日に「連歌奉納祭」、10月1日「本社汐かき」、1日と3日は「灯山」、5日「幟山」、6日「神幸祭」、7日「当場渡し」の順序で行われる。

宇原神社縁起には、嘉吉2年に古宮所の浮殿に神輿で行幸され氏子の村々からは笠鉾を出し、それより年々怠りなく執行されmそれから150年を経て慶長2年に鉾山(現在の山笠)を出すに至ったと記されている。

 さて、この山笠の山車の台は当場の人々が適当な日に組み立て、それに灯山、幟山或いは岩山などその使用の時にそれぞれの用途によって飾り付けをする。

 神幸祭の祭の中心行事であり、宇原神社の神輿が神事場即ち旧宮所の浮殿の地(石塚山古墳の前の町役場前広場)に行幸される。一方、神輿の供をして氏子15区が思い思いの意匠を凝らした岩山を引いて神事場に勢揃いする。

 

鉦卸し

 苅田山笠の始めの行事。午前0時から各氏子の神社から鉦をかき鳴らしながら宇原神社へと向かう。社殿を3周回った後、宮司よりお祓いを受ける。この時より鉦を鳴らすことが出来、山笠の準備が始まる。

 

灯山

 灯山とは山笠に提灯を飾り付けたものである。宇原神社の本社汐かきのお供として灯山を出す。その後、各区を運行する。闇夜を照らす灯山の姿は壮観である。

 

幟山

 各区の汐かきが行われる日に山笠に幟を飾り付け海へと向かう。海で葦を汐で清め、山笠に投げ入れる。この幟山の姿は、この日の2、3時間しか見ることが出来ない。

 

神輿の行幸

 神幸祭の当日午前9時頃、神職、氏子総代、神輿かき、御供人、鉾持ちなどが神社に集い、祭典執行の後、次の順で神事場へ向かう。

 

①塩湯祓 ②獅子頭 ③神職 ④社名旗 ⑤五色旗 ⑥日月旗 ⑦辛櫃 ⑧太鼓楽人 ⑨剣鉾 ⑩太刀鉾 ⑪鋏箱 ⑫賽銭箱 ⑬祓串 ⑭神職 ⑮神輿 ⑯神輿台 ⑰宮司 ⑱大傘 ⑲会長 副会長 総代 ⑳鉾持

 

 神輿は楽の奏せられる中を厳粛裡にしづしづと宇原神社から御旅所へ行幸される。その途中、宇原神社祭神に由緒ある磯の上の休憩所で少時御休憩なされる。それから集区の山笠に先導されて再び御出発なされ、11時頃御旅所に御到着され、安置される。この時から参拝者は踵を接して続々参拝する。一方、氏子の各区では神輿の御供をするため岩山をだす。

 

岩山

 神幸祭の当日午前2時頃から当場の人々は山車の置いてある所に集まり、前日幟山に使った山車に飾りを付け始める。竹骨に着色紙張りの岩や波や美麗な御殿を飾り付け、五色の紙すだれを付け、人形数体を飾って演劇を現出し、ボテ花を付け、山笠の胴体に色とりどりの幔幕を張って岩山を作る。この山笠は高さ5m、幅3m、長さは13mにもなる。9時頃には岩山も出来上がり、10時頃には山笠に大人がつき、子供に引かれて神事場へ向かう。各区の人々はこれに従って行く。その服装は大人子供とも各区規定のマークを背に染めつけた法被を着用し、区毎に決められた色の鉢巻をしめる。山笠出発に当たっては当初からの慣習に従い、集区の山笠が先ず第一に出発して神輿を迎えに行き、その先導をして御旅所に行く。それから協議の上決められた順序で南北両郷とも鉦太鼓をかまびしく鳴らしながら神事場に行き、12時過ぎに山笠14基が集合して規定の順序にならび、その研を競う。この時より町内、町外の参拝者が集まり、多数の出店も出て雑踏を極め、所謂賑やかな苅田神事の絵巻を繰り広げる。

 

突き当て

 午後3時頃、神輿は行幸のときと同じ行列で集区の山笠に先導されて御還幸され、各区の山笠も帰還する。これからが苅田の喧嘩山笠である。山笠と山笠を二重、三重、四重と衝突させる。14基の山笠が入り乱れ暴れて遊ぶ。時には山笠の一部が損壊するほどの激しさである。この時、神事場には数千の観衆でひしめき合い祭を見届けている。

更新情報

2024.9.1 桟敷席について

お知らせ

苅田山笠実行委員会事務局

kanda@kandayamakasa.jp